資本コスト経営とは?WACCとROICで企業価値を高める実践ガイド

資本コスト経営とは何か——定義と、日本で注目が高まった背景
資本コストの基本(株主資本コストとWACC、負債コストの違い)
資本コストとは、投資家に納得してもらうために、会社が最低でも稼がなければならない利回りのことです。株主資本コストは「株主が期待する利回り」、負債コストは「銀行などから借りるときの利息」です。
WACCは、株主と銀行からの資金を“時価の割合”で混ぜ合わせた平均コストを指します。全社の意思決定ではWACCを基準に、個別の新規投資はリスクに応じて事業別のハードルやIRR(投資の実質利回り)で確認します。
なぜ今注目されるのか(東証の“資本コスト・株価を意識した経営”要請と流れ)
2023年、東京証券取引所は上場企業に「資本コストや株価を意識した経営」を求めました。まず自社の資本コストと資本収益性(ROEやROIC)がどうなっているかを押さえ、改善策と進捗を説明することがポイントです。
特にPBR(株価純資産倍率)が低い企業は、原因と打ち手、いつまでに改善するのかを具体的に示すことが期待されています。以降、東証はフォローアップ資料を出し続け、企業が何を開示すべきかの道筋が明確になってきました。
「資本コスト経営」の要点(資本コストを上回るリターンを継続的に生むという考え方)
やることはシンプルです。① ROICがWACCを上回っている事業に資本を厚く配分する、② マイナスの事業は期限を切って改善し、難しければ縮小・撤退・売却を検討する、③ 余った資本は成長投資と株主還元に回す。
この「選ぶ・配る・投じる」を同じ物差しで運用すると、判断の一貫性が増し、説明責任も果たしやすくなります。
出典:野村総合研究所『ROIC(投下資本利益率) | 用語解説』(2023/10/2)
出典:東京証券取引所『資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応』(2023/3/31)
出典:東京証券取引所『市場区分の見直しに関するフォローアップ(特設ページ)』
投資家目線で見た重要性——市場評価と企業価値のつながり
DCFとROIC−WACCの関係(スプレッドがプラスかどうかで価値が決まる)
会社の価値は、将来稼ぐお金(フリーキャッシュフロー)を「いまのお金の価値」に直して足し合わせて決まります。直すときの割引率が資本コストです。
現場ではもっと直感的に、ROIC(実際の稼ぎの割合)からWACC(お金のコスト)を引いた“スプレッド”を見ます。プラスなら「投下した1円が価値を増やした」、マイナスなら「価値を減らした」という意味になります。
PBR・ROE・TSRの読み解き方(資本効率と還元のバランス)
PBRは市場から見た“期待の高さ”の表れです。背景には、資本効率(ROE)と資本コストの関係があります。
TSR(株主総利回り)は株価の上昇と配当を合計した指標で、配当や自己株買いと、将来の成長のための投資をどう配分したかが結果に出ます。投資家は、低PBRの理由(構造的問題なのか、一時的な要因なのか)と、改善計画の中身と期限を重視します。
成長投資・再配分・株主還元の設計(“稼ぐ・配る・預ける”の最適化)
手元資金の使い道は大きく3つです。
① 稼ぐ:競争力を強くする投資(人材、R&D、設備など)に使う。
② 配る:配当や自己株買いで株主へ戻す。
③ 預ける:内部留保として残す。
低採算の事業を抱えたまま内部留保を増やしても、評価は上がりにくいものです。将来の稼ぐ力を強めつつ、余剰資本は還元へ回す——この順番を、数値と根拠で示します。
出典:経済産業省『価値協創のための統合的開示・対話ガイダンス2.0』(2022/8/30)
出典:東京証券取引所『「資本コストや株価を意識した経営」に関する投資者の目線とポイント』(2024/11/21)
主要指標と測り方——WACC/ROIC/EVA/TSR
WACCの求め方(CAPMでの株主資本コスト、負債コストの税効果、重み付け)
WACCは“お金の平均コスト”です。株主が期待する利回り(CAPMという考え方で推定)と、借入の利息に税効果を考慮した負債のコストを、会社の資金構成(株主資本と負債の“時価の割合”)で加重平均します。
金利や株式市場の振れで数字は動くため、前提のアップデートと感度の確認を定例化すると、判断のブレを抑えられます。
ROICの設計とスプレッド管理(投下資本の定義、のれん・IFRS/日本基準の考慮)
ROICは「税引後営業利益 ÷ 投下資本」です。投下資本とは、有利子負債と株主資本に、運転資本やのれん・無形資産などを加えた“事業に縛り付いているお金”のこと。
社内で定義がバラバラだと数字が比べられないので、セグメントごとに同じ定義で集計します。実力を見るために、一時的な損益の影響を除いた数値も併記し、ROIC−WACC(スプレッド)で“価値を増やせているか”を追いかけます。
EVA・TSRなど補助指標の使いどころ(短期KPIと中長期評価のつなぎ方)
EVA(経済的付加価値)は「税引後営業利益 − 投下資本×WACC」。つまり“資本コストを費用として引いたあと、いくら残ったか”を見ます。現場の運用では、短期KPI(CV数や粗利など)にEVA増分やROIC改善をあわせて見ると、効率化一辺倒にも、投資偏重にもならずに進められます。社外への説明では、TSRで長期の成果を示し、EVAやスプレッドで“何で稼げたか”を補足すると伝わりやすくなります。
出典:野村総合研究所『ROIC(投下資本利益率) | 用語解説』(2023/10/2)
出典:グロービス経営大学院『EVA(経済的付加価値)』
経営への落とし込み——資本配分・ポートフォリオ・開示
事業ポートフォリオの見直し(撤退・集中・M&A・提携の規律)
まず、事業を「増やす・守る・減らす」に仕分けします。スプレッドがマイナスの事業には、いつまでにどれだけ改善するかの計画を置き、難しい場合は縮小・撤退・売却を検討します。
プラスが安定している事業には投資を厚く配分します。M&Aや提携は、買った後(PMI)にいつ・何でスプレッドが改善するかまでを事前に示し、実行後は検証を続けます。
投資規律とハードルレート(IRRとWACC、PMIや無形資産投資の評価)
新規投資とM&Aは、IRR(投資の利回り)が事業別WACCを上回っているかを入口で確認します。さらに、悲観・標準・楽観のシナリオでどこまで耐えられるかを感度分析で押さえます。人材、R&D、ブランドなどの無形投資は数値化が難しいため、段階KPI(採用・立上げ・売上貢献など)で進捗を管理し、回収の見通しを更新していきます。
開示と投資家コミュニケーション(中計、資本コストと資本効率KPI、東証要請に沿った説明)
中期計画には「資本コストの水準」「ROICやスプレッドの目標」「PBR・TSRなど外部KPI」を結び付け、四半期ごとに進捗を説明します。東証は“把握→改善→開示”のサイクルを求めています。投資家が知りたいのは「原因・対策・期限」の三点です。ここを外さず、図表で経路と数値を見せると、理解が進みやすくなります。
出典:経済産業省『事業再編実務指針』(2020/7/31)
出典: 東京証券取引所『市場区分の見直しに関するフォローアップ(特設ページ)』
実務の進め方——体制・プロセス・運用の型
取締役会と経営陣の役割分担(監督と執行、スキルマトリクスと議題設計)
資本コスト経営を機能させるには、取締役会(監督)と経営陣(執行)の役割を明確にします。取締役会は資本配分の規律や一貫性を見守り、経営陣は事業別の改善と再配分を実行します。
独立社外取締役の関与やスキルマトリクスの公開は、意思決定の質を上げるための土台になります。議題には資本効率とリスクの視点を定例で組み込み、運営を継続的に改善します。
管理会計とデータ整備(セグメント別ROIC、資本コストの定期見直し)
実務でつまずきやすいのは、数字がすぐ出てこないことです。セグメントや製品ライン別にROICを出せる仕組みを用意し、運転資本やのれんの影響を切り分けます。
WACCの前提(無リスク金利、リスクプレミアム、ベータ、税率)は定期的に更新し、意思決定に耐える精度に保ちます。こうした地道な整備が、スピード感ある資本配分を可能にします。
よくある落とし穴(ハードル一律設定、短期偏重、自己株買い偏重の副作用)
全社一律のハードルは、事業ごとのリスク差を無視してしまいます。短期の利益目標に偏ると、人材・R&D・設備の手当てが遅れ、将来のROICが弱くなります。
株主還元は重要ですが、投資機会の検討が不十分なまま自己株買いを続けると、成長余地を自ら狭めてしまいます。規律を保ちながら、成長の選択肢を広げる設計を心がけます。
出典:東京証券取引所『改訂コーポレートガバナンス・コードの公表』(2021/6/11)
まとめ——小さく始め、継続開示と実行で磨いていく
最初の一歩は、社内でWACCとROICの定義をそろえ、セグメント別のスプレッドを見える化することです。次に、マイナスの事業に期限付きの改善計画を置き、難しければ縮小・撤退・売却の判断に踏み込みます。
余剰資本は成長投資と還元に配分し、中期計画と四半期開示で進捗を共有します。こうしたサイクルを回し続けることで、資本コスト経営は“掛け声”から“仕組み”へ変わっていきます。
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