PBR1倍割れから抜ける財務戦略とは—資本コスト、事業ポートフォリオ、IRを一体運用するポイントを解説

PBR1倍割れから抜ける財務戦略とは—資本コスト、事業ポートフォリオ、IRを一体運用するポイントを解説
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PBR1倍割れの解消は、単に配当や自社株買いを増やせばよいという発想では長続きしません。資本コストを上回る稼ぐ力の設計、バランスシートの再構築、投資家との双方向の対話までを含めた「一体運用」が重要になります。東証は2023年以降、資本コストを意識した経営を求め、2024年からは開示企業のリスト公表や投資家の視点を明示するなど改革を後押ししてきました。 2025年にはROE目標や資本配分方針の開示が進み、投資家の注目は「中期の実行力と進捗更新」に移っています。本稿では、財務戦略の前提からバランスシート、IR、ガバナンスまでを、実務で使える粒度で整理します。

PBR1倍割れ 財務戦略の前提(東証要請の狙いと現在地)

東証要請は「PBRの是正」ではなく“資本コストを超える経営”を促す

2023年3月、東証はプライム・スタンダード市場のすべての企業に対し、「資本コストや株価を意識した経営」を継続して行い、かつ開示するよう要請しました。要点は、資本コストと収益性の把握から始まり、取締役会での分析、改善計画の策定と開示、投資家との対話、進捗更新へとつなげる一連のサイクルを企業文化として定着させることです。

東証が強調しているのは、単なる配当や自社株買いに依存するのではなく、研究開発や人的資本投資、設備投資、事業ポートフォリオの再構築など、中長期で資本コストを上回る利益を生み出す取り組みです。PBRは結果にすぎず、根本は資本配分と収益力の設計にあるというメッセージです。

出典:Tokyo Stock Exchange「Action to Implement Management that is Conscious of Cost of Capital and Stock Price」

開示企業の広がりとPBR1倍割れの状況を押さえる

東証のフォローアップ資料によれば、2024年5月時点でPBR1倍を割っている企業はプライム市場で約43%、スタンダード市場では約58%にのぼります。2024年には開示に踏み切る企業も増え、プライムでは8割以上が対応済みとなり、情報通信や小売といった比較的PBRの高い業種でも進展が見られました。

企業が注目しているのはROE・PBR・ROICといった指標であり、IRサイトや統合報告書など複数の媒体で説明するケースが増えています。各社はまず自社の立ち位置を確認し、目標・手段・進捗の見せ方を逆算して設計することが重要です。

出典:東京証券取引所「上場会社の対応状況(2024/8/30)」

2025年の最新トレンド:投資家は「実行力と更新」を見ている

2025年9月の最新資料では、開示更新のスピードアップ、ROE目標や資本配分方針の明示、バランスシート効率化の取り組みが「前進の兆し」として示されました。

しかし同時に、投資家がより強く求めているのは「短期的な還元策に偏らず、中期で価値向上につながる資源配分」と「計画の実行力、進捗のタイムリーな更新」です。業績の前提や事業撤退・集中の意思決定、役員報酬との連動性など、経営の意思決定が動いているかどうかが評価の分かれ目になっています。

出典:TSE「Status Update and Future Initiatives(2025/9/2)」

PBR1倍割れ 財務戦略の基本設計(資本コスト・ROE・資本配分)

資本コスト(WACC)の測り方と“投資判断への落とし方”

資本コストとは、株主資本コストと負債コストを加重平均した「最低限上回らなければならない利回り」です。推計にはCAPMなどの一般的手法が使えますが、重要なのは結果を投資判断にどう組み込むかです。事業ごとにハードルレートを設け、高リスク案件には上乗せ基準を設定します。

IR資料には、WACCとROICの差(スプレッド)、ハードルを超えた案件・未達案件の件数や理由を開示すると投資家の納得感が高まります。経産省の「価値協創ガイダンス2.0」は、投資家と共通言語で対話する際の参考資料として有効です。

出典:経済産業省「企業と投資家の対話のための価値協創ガイダンス2.0」

ROE/ROIC目標と資本配分方針の“セット開示”

PBR1倍割れからの脱却には、ROEの底上げと資本配分方針の一貫性が重要です。2025年の東証資料でも、ROE目標や資本配分方針の明確化、バランスシート効率化の取組みが投資家に好意的に受け止められています。

配当や自社株買いに加え、研究開発・人材・設備・デジタル投資など成長投資の基準、撤退や縮小の基準、負債の目安(ネットD/Eレシオなど)を明示します。あらかじめ目標の根拠や見直し条件を書いておくことで、投資家との合意形成が迅速になります。

出典:TSE「Status Update and Future Initiatives(2025/9/2)」

「還元だけで終わらせない」——東証のメッセージを実務に反映

東証は繰り返し、配当や自社株買いは有効であっても「それだけでは解決にならない」と発信しています。本質は、資本コストと収益性を正しく見極め、研究開発や設備投資、人的資本投資などを進めつつ、不要事業の撤退やポートフォリオ再構築も合わせて実行することです。つまり、投資と撤退の方針をまず示し、その上で還元とバランスシートの最適化を行う順番が合理的です。ここを誤ると、翌期以降の収益基盤が弱まり、PBR改善も一時的に終わるリスクがあります。

出典:Tokyo Stock Exchange「Action to Implement Management that is Conscious of Cost of Capital and Stock Price」

PBR1倍割れ 財務戦略:バランスシート再設計(資産・株主構成・調達)

非中核資産の圧縮と資本回転を高める

バランスシートの効率を高めるには、まず資本を食いながらリターンが低い「非中核資産」を整理することが欠かせません。具体的には、遊休不動産や重複する事業資産、採算性の低い持分法適用会社などが対象になります。これらは資本を拘束し、ROICを押し下げる要因となります。

スピンオフやカーブアウトによる切り離し、あるいは売却によって資本を解放し、より収益性の高い事業に再投資する流れを投資家に示すことが重要です。売却に伴い一時的な損失リスクは発生しますが、投下資本の圧縮によるスプレッド改善で長期的に回収できる構造を説明できれば、投資家の理解は得やすいでしょう。

出典:日本取引所グループ「Status Update and Future Initiatives(2025/9/2)」

政策保有株(持ち合い)の縮減と説明の徹底

日本企業に特有の課題が、政策保有株の存在です。とくにPBR1倍割れ企業ほど、多くの政策保有株を抱えているケースが目立ちます。コーポレートガバナンス・コードでは、保有目的や便益とリスクを毎年検証し、その結果を開示することを求めています。資本コストを上回る合理性がない保有は縮減すべきであり、その計画を明示することが投資家への信頼につながります。さらに、売却を妨げる慣習を改め、議決権行使の基準を透明化することも欠かせません。金融庁も開示の精度向上や縮減の進捗をフォローアップしており、PBR改善に直結する「わかりやすい一手」として政策保有株の整理は効果的です。

出典:金融庁「Corporate Governance Reform(資料)」

最適資本構成:負債の使い方と希薄化コントロール

資本効率を高めるためには、自己資本をむやみに積み上げないことも大切です。安定的なキャッシュフローを生む事業には、適度な負債を活用してレバレッジを効かせ、資本回転率を高めることが合理的です。逆に、余剰資本を抱えたままではROEの低下を招き、PBR改善を阻害します。また、エクイティ調達を行う場合には、戦略的に必要な大型投資に限定し、希薄化リスクについては投資回収計画やシナリオを具体的に提示することが肝要です。資本政策を中期経営計画の中心に据え、バッファーの考え方も含めて「前もって」説明しておけば、投資家は安心して評価することができます。

出典:Japan’s Corporate Governance Code(英訳版, 2021改訂)

PBR1倍割れ 財務戦略:投資家対話と開示運用(IR/英語/更新)

英語を含む“見せ方”の設計:リスト活用とKPIの見せ場づくり

東証は2024年から、資本コスト経営の要請に対応した企業リストを定期的に公表し、2025年には「開示更新日」や「投資家からの接触希望表示」などの情報も追加しました。さらに英語開示の有無も一覧化され、海外投資家が企業にアクセスしやすい環境が整備されています。

企業側はIRサイトに「資本配分方針」「主要KPI」「進捗更新」の定点観測ページを設け、四半期ごとに更新していくと、投資家は安心してフォローできます。英語での同時開示を整備することも、グローバル投資家からの評価を高めるポイントです。

出典:Tokyo Stock Exchange「Action to Implement Management that is Conscious of Cost of Capital and Stock Price」

投資家の評価軸に合わせる:中長期の実行と“途中経過”の説明

投資家は「目標数値を掲げること」よりも「その実行力と進捗更新」を重視しています。最新のフィードバックでは、ROE目標や資本配分方針の提示は評価される一方で、実際にROEやROICが改善しているか、5年間のロードマップを持っているか、未達時にどうリカバリーするかが問われています。

短期的な利益改善に偏った施策では評価が分かれやすく、BSの理想像やキャッシュ配分を先に描いてから、それに沿った行動を説明することが効果的です。進捗を黙って積み上げるのではなく、四半期ごとにアップデートを出すことが、PBRの持続的な改善につながります。

出典:TSE「Status Update and Future Initiatives(2025/9/2)」

スチュワードシップ/エンゲージメント指針の使い方

投資家対話を深めるためには、金融庁のエンゲージメント・ガイドラインを活用するのが効果的です。これはスチュワードシップ・コードとガバナンス・コードを補完し、企業と投資家の建設的対話を促す枠組みを示しています。企業側は資本政策や事業ポートフォリオの意思決定プロセスを丁寧に説明することで、対話の深まりを実現できます。

具体的には、ROIC基準に基づく撤退・集中の判断、人的資本投資の収益性、経営陣報酬の連動性といったテーマが対話の中核になります。さらに、会議体の体制や意思決定プロセスを開示に明文化することで、投資家からの信頼を得やすくなります。

出典:金融庁「Guidelines for Investor and Company Engagement」

PBR1倍割れ 財務戦略:ガバナンスと報酬設計(実行力の源泉)

取締役会の“資本配分会議化”とKPIの定着

PBR1倍割れを解消するためには、取締役会が単なる形式的な承認機関ではなく、資本配分を実際に議論し、意思決定する場として機能することが前提になります。四半期ごとに、(1)資本コスト(WACC)と実際の収益性(ROIC)のスプレッド、(2)投資・撤退の決定基準、(3)バランスシートの理想像と現状の乖離、(4)資本政策の実行状況、を必ずレビューする体制を整えることが有効です。

KPIは「定義書つき」で管理し、変更があれば取締役会での決議・理由・影響を記録し、IR開示にも反映させると透明性が高まります。投資家の関心はまさにこの「意思決定の実効性」に集中しており、実務に落とし込む必要があります。

出典:日本取引所グループ「Status Update and Future Initiatives(2025/9/2)」

役員報酬:ROE/ROIC・TSR連動の“重み”を上げる

投資家からは「掲げた目標を実行に移すには、経営陣のインセンティブ設計が重要だ」という指摘が強まっています。特に日本企業は株式報酬や業績連動報酬の比率が依然として低く、資本効率改善や成長投資に対する経営者の動機づけが弱い傾向があります。

そのため、固定報酬の比率を抑え、ROEやROIC、TSR(株主総利回り)、資本回転率や人的資本関連のKPIなどを組み合わせて報酬に反映する比重を高めると、経営の意思決定が数字に直結しやすくなります。開示においては、採用する指標、評価の重みづけ、算定方法、ガバナンス体制を明示し、投資家にとって納得感のある仕組みにすることが不可欠です。

出典:日本取引所グループ「Status Update and Future Initiatives(2025/9/2)」

上場制度の節目を活かす(経過措置終了と基準の順守)

2025年3月には、上場維持基準に関する経過措置が終了し、本来の基準が完全に適用されます。売買代金や出来高の基準も順次本格適用に戻るため、流通株式の比率や時価総額、取引量の管理がより重要になります。

これは直接PBRの改善策ではありませんが、資本効率と並んで「市場品質」の維持・向上を確認する機会となります。基準未達のリスクがある企業は、資本政策や投資家対話を通じて早めに手を打ち、ディスカウント要因を除去することが求められます。上場制度の節目を逆に活かして、ガバナンスと財務戦略の両面を整えることが有効です。

出典:JPX「上場維持基準に関する経過措置の終了」

まとめ

PBR1倍割れ 財務戦略を考えるうえでの核心は、大きく4つに整理できます。

第一に、資本コストと収益性を核にした「稼ぐ力」の設計を行い、持続的に資本コストを上回る利益構造を築くこと。

第二に、バランスシートの再設計を通じて非中核資産の圧縮、政策保有株の縮減、最適な資本構成の確立を進めること。

第三に、投資家対話と開示の運用を体系的に整え、IR活動を通じて中長期の実行力と進捗更新を発信し続けること。

そして第四に、取締役会の機能強化や報酬制度の改革、上場制度の節目を活用して実行力を裏打ちすることです。

東証の要請はPBRという「結果」そのものを矯正するのではなく、資本配分を軸にした「因果構造」を改善させることにあります。自社の現状を分析し、目標を設定し、資本配分の方針を明示し、四半期ごとに進捗を更新する。この一連の流れを一枚の工程表として定着させることで、PBRのディスカウントを解消し、持続的に1倍を超える評価を得る近道となります。

カテゴリー:会計・財務

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