サプライヤーと進める脱炭素—要求事項を“伝える・測る・動かす”の順で整える

サプライヤー脱炭素の全体像(要求事項の“地図”を持つ)
まずはScope3の考え方を社内の共通言語にする
サプライヤーに脱炭素の要求事項を伝える前に、まずは社内の理解を揃える必要があります。特に重要なのがScope1・2・3の定義です。Scope3は「自社の外側で発生する間接排出」を指し、調達している資材や物流の過程、さらには製品が使われる段階まで含まれます。
日本国内では環境省や経産省が発行するガイドラインが繰り返し更新されており、最新版ではScope3の算定方法や、サプライヤーからデータを収集する際の進め方が整理されています。これらを配布資料の冒頭に載せておくことで、会話の土台を固めることができ、社内・サプライヤー間で言葉の食い違いを防げます。
開示の“呼吸”を合わせる(ISSB/IFRS S2の視点)
投資家や市場に向けた開示は、ISSBによるIFRS S2で国際的に統一が進んでいます。この基準では、企業の事業モデルやバリューチェーンへの影響、移行計画、指標や目標の開示が求められます。
したがって、サプライヤーにお願いする質問項目も、このIFRS S2の枠組みに沿って設計すると便利です。そうすれば、調達部門が集めたデータをそのまま統合報告書や有価証券報告書に流用できます。調達と開示担当が最初から連携してデータの“行き先”を決めておくことで、ダブルワークを防ぐことができます。
“段階的要求”でスタートする(いきなり満額を求めない)
初年度からいきなり詳細なLCA(ライフサイクルアセスメント)や完全な一次データを求めても、サプライヤーの現場は対応しきれず、回答率が下がってしまいます。そこで、まずは最低限の項目に絞ります。
例としては、
算定の範囲を明示してもらう
推計ベースでも良いので活動量データを提出してもらう
改善計画の有無を回答してもらう
この3点からスタートします。そして翌年度以降に、一次データの割合を少しずつ増やしていくのです。あらかじめ「最低限」「標準」「先進」という三段階のメニューを提示し、どのレベルを目指すかを合意しておくと、サプライヤーの負担感が下がり、回答の継続率も高まります。これはCDPのサプライチェーン・プログラムの設計方法が参考になります。
出典:環境省:排出量算定に関するガイドライン(サプライチェーン排出量 基本・一次データ活用)
出典:環境省:バリューチェーン全体の脱炭素化に向けたエンゲージメント実践ガイド
出典:IFRS財団:IFRS S2 Climate-related Disclosures
出典:CDP:2025 Supply Chain Group Trainings Japan
サプライヤーに“測ってもらう”脱炭素要求事項(算定・データ・証跡)
ガイドラインに沿った範囲と方法を明示する
サプライヤーに依頼を出すときは、「どの範囲を」「どの基準で」「どの年度に」測ってほしいのかを具体的に書くことが欠かせません。Scope1・2・3のどれを対象にするのか、国内ガイドラインやGHGプロトコルの基準に従うのかをはっきりさせるのです。
国内ガイドラインは国際基準と整合しているため、一次データを積極的に使うと評価が上がることも明示しておくとよいでしょう。さらに、単位や排出係数、換算方法をテンプレートにして添付し、記入例を一緒に渡すと、サプライヤーの負担を減らし、回答の精度も上がります。
一次データを増やす仕掛けをつくる
脱炭素対応を本格化させるには、推計に頼らず、実測に近い一次データを増やしていく必要があります。
「購入額×排出原単位」といった二次データは立ち上がりが早い反面、サプライヤーの実際の削減努力が数値に反映されにくいという弱点があります。そのため、燃料使用量、電力量、物流の輸送距離など、実際の活動量に基づく一次データを段階的に増やしていく方針を明確に伝えることが重要です。
国内の一次データ活用ガイドラインには、具体的な手順や項目の例が整理されていますので、それを依頼票にそのまま流用すれば、サプライヤー側も迷わず記入できます。
証跡の要件を明示し、監査を見据える
数字だけの報告では十分ではありません。算定結果を裏付けるための証憑(請求書、検針票、物流明細、証書IDなど)も必須です。
依頼時には、「どんな種類の証跡を」「どれくらいの期間保存するのか」を具体的に指定しましょう。さらに、証憑の形式(PDFやCSV、写真可否など)や、データが実測か推計かも明記します。
期末のレビュー時に「そのデータを再現できるか」をテストしておくと、翌年の監査や再算定でのトラブルが格段に減ります。
出典:環境省:排出量算定ガイドライン(基本・一次データ活用)
出典:経産省:カーボンフットプリント・ガイドライン(算定・一次データの考え方)
出典:環境省:バリューチェーン脱炭素エンゲージメント実践ガイド
サプライヤーに“目標を持ってもらう”脱炭素要求事項(SBTi・移行計画)
SBTiの“サプライヤーエンゲージメント目標”に合わせる
自社がSBTi(Science Based Targets initiative)の目標に沿っているなら、取引先のサプライヤーにも同じ枠組みに基づく取り組みを求める必要があります。SBTiは特に、Scope3の排出量が大きい企業に対して、主要サプライヤーに目標設定を働きかける「エンゲージメント目標」を設けることを義務付けています。
そのため、依頼書には「対象となるサプライヤーの範囲」「いつまでに目標を設定すべきか」「どのように評価するか」を明記することが重要です。さらに、サプライヤーが使いやすいように、SBTiに準拠した目標設定のテンプレートを提供してあげると、回答率や質が向上します。
自社の移行計画とサプライヤーの計画をひも付ける
ISSB/IFRS S2の基準では、企業自身の「移行計画(トランジションプラン)」の開示が求められています。つまり、自社が将来に向けてどう排出を削減していくかを、戦略的に示さなければならないのです。
このとき、サプライヤーからも「省エネ投資」「再エネ導入」「工程転換」などの計画とマイルストーンを聞き取ることが欠かせません。さらに、それらの計画がコスト構造や納期にどんな影響を及ぼすかまで把握しておくと、調達や設計の意思決定に直結します。
単なる「やります」という宣言だけではなく、工程表や資金計画、KPIまで具体的に書いてもらうことで、移行計画が実際に企業活動に組み込まれているかを確認できます。
クレジット活用の線引きを明確にする(VCMIの補助線を参照)
理想は「自らの排出を削減すること」ですが、移行期にはクレジット活用をどう位置付けるかが議論になります。ここで参考になるのが、VCMI(Voluntary Carbon Markets Integrity Initiative)のScope3アクションコードです。
このコードでは、クレジット利用の上限比率や、開示の仕方が整理されています。これをサプライヤー指針に取り入れることで、「あくまで削減が優先で、クレジットは補助的に」という立場を明文化できます。そうすれば、サプライヤーも無理なく取り組める範囲を理解でき、議論がスムーズに進みます。
出典:SBTiブログ:New Supplier Engagement Guidance
出典:SBTi:ENGAGING SUPPLY CHAINS ON THE SBTI SUPPLIER ENGAGEMENT TARGETS
出典:Reuters:VCMIがScope3 Action Codeを発表
出典:IFRS財団:IFRS S2(移行計画の開示)
サプライヤーに“開示してもらう”脱炭素要求事項(CDP・ISSB・国内整理)
CDPの設問構造に合わせて依頼票を作成する
もし主要顧客がCDP(Carbon Disclosure Project)を使っている場合、サプライヤーへの依頼票もCDPの設問に合わせると、回答率が格段に上がります。2025年サイクルの日本向けトレーニング資料を参考に、必須項目と任意項目を切り分け、設問の粒度をカスタマイズします。
さらに、提出方法(オンラインポータルかCSV提出か)、提出期限もCDPのスケジュールに揃えると、社内外の運用が軽くなります。
ISSB/IFRS S2の“言い方”に揃えて開示させる
サプライヤーに依頼する開示内容は、ISSB/IFRS S2の4本柱(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標)に合わせるのがベストです。
例えば、
製品や地域ごとの移行リスク
サプライチェーン上流の依存度
代替原料の調達計画
といった投資家が知りたい視点を盛り込むと、そのまま監査資料や証券報告書につなげやすくなります。形式を整えることが、社内外での説明を一気にスムーズにするコツです。
国内ガイドと用語・算定ルールを整合させる
国内の算定ガイドラインは、GHGプロトコルのScope3基準と整合しています。そのため、依頼票や契約書に使う用語は国内ガイドに合わせて統一するのが安全です。海外のグループ会社に依頼する場合には、必ず英訳版を併記すると混乱が減ります。
さらに、一次データの利用方針や、第三者検証が必要かどうかについても、国内資料に基づいて明記すると、サプライヤーが迷わず取り組めます。
出典:CDP:2025年 サプライチェーン向けトレーニング(日本)
出典:IFRS財団:IFRS S2 気候関連開示
出典:環境省:排出量算定ガイドライン(基本/一次データ)
出典:GHG Protocol:Scope3 Standard
調達・契約に落とし込むサプライヤー脱炭素の要求事項(条項・評価・インセンティブ)
契約に「気候関連条項」を盛り込む(最低限の文言例を用意する)
サプライヤー脱炭素の要求事項は、依頼文やアンケートだけでなく、調達契約の条文として明文化することが重要です。新規契約や更新契約の際に、次の3つを必ず組み込むのが基本形です。
排出量の算定と開示に協力する義務
排出削減目標を設定し、進捗を定期的に報告する義務
証跡を保全し、必要に応じて監査に協力する義務
最初から「義務化」すると反発が強くなることもあるため、努力義務 → 義務化のように段階的に導入するのが現実的です。また、契約書には「提出様式」「年度の定義」「秘密保持の扱い」まで細かく書き込むことで、後のトラブルを防げます。
直接的な法的義務ではないものの、グリーン購入法や公共調達に関する議論が進んでいるため、それらを参考に契約条項を設計すると説得力が高まります。
価格や評価制度の中に「気候スコア」を組み込む
サプライヤーを選定する際の見積もり審査は、これまで「価格と品質」が中心でした。しかし脱炭素経営の時代には、そこに「気候スコア」を加える必要があります。
評価項目としては、
一次データ提出の比率
SBTiに準拠した目標を持っているか
使用しているエネルギーの再エネ比率
などが加点要素になります。逆に、未提出や虚偽報告は減点の対象とし、是正計画を期限つきで求める形をとると実効性が増します。
つまり、これまでの「価格と品質だけの評価表」を「価格・品質・気候の総合点」に進化させるのです。評価基準をCDPやISSBの既存指標に合わせれば、国際的な整合性も確保できます。
インセンティブと支援策を用意し、“要求するだけ”にしない
サプライヤー脱炭素の要求事項は、ただ「提出してください」と伝えるだけでは長続きしません。特に中小規模のサプライヤーにとっては、算定や開示は負担になるため、負担を下げる支援とインセンティブを組み合わせることが大切です。
支援策の例としては、
排出量算定のテンプレートを配布する
再エネや省エネ機器の共同購買スキームを提供する
勉強会や研修を開催し、ノウハウを共有する
インセンティブとしては、
一次データを提出したサプライヤーに「優先発注」する
取引条件(支払サイトなど)を改善する
といった仕組みを設けると、取り組みが加速します。さらに、経産省のカーボンフットプリントや一次データ活用ガイドを教材として配布すれば、全社で同じ基準を持てるので、会話の出発点が共通化されます。
出典:経産省:グリーン購入法関連(調達品目・判断基準の整理)
出典:CDP:サプライチェーン開示の進め方
出典:経産省:カーボンフットプリント・ガイドライン
まとめ:サプライヤー脱炭素の要求事項を“明文化・平準化・年次運用”で回す
サプライヤー脱炭素の取り組みを定着させるには、場当たり的な依頼やスポット対応では不十分です。次の3つの流れを社内の標準運用として組み込むことが大切です。
言葉と枠組みをそろえる まず、Scope3の共通言語を社内で確立し、ISSB/IFRS S2の「言い方」に合わせて依頼票や契約条項を標準化します。
目標と期限を明文化する 一次データの比率を毎年引き上げる目標を掲げ、SBTiのサプライヤーエンゲージメント要件と連動させて、対象範囲と期限をはっきり決めます。
開示とインセンティブを回す CDPや国内ガイドと整合した評価制度やインセンティブを整え、証跡台帳を年次で締める運用を固定します。
こうしたサイクルを回すことで、サプライヤー脱炭素の要求事項は「負担」ではなく「新しい取引の標準」となります。つまり、伝える → 測る → 動かすの順で一歩ずつ制度を整えれば、取引先を巻き込みながら持続的に脱炭素を進められるのです。
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